ミルク



 俺は射精した。
 赤黒い亀頭から元気よく飛び出していく白い精液がそれより薄い白の牛乳にぽちゃぽちゃと落ちていく。
「……ううっ」
 最後の一滴まで出し切って俺は小さく身震いした。尻尾のあたりに力を込めると残った精液がどろりと中に垂れ落ちていく。瓶の注ぎ口に痕跡が残っていないことを確認してから、俺は丁寧にプラスチックの蓋を閉めた。続いて蓋を覆っていたビニールを元通りに被せ、玄関の配達ポストに戻す。誰も見ていないのを確認してから家の裏手に回り、自分の部屋から垂らした縄梯子を音もなく上ってベッドに戻る。一分の誤差もなくいつも通りの時間だ。まだ背中に残る快感の残滓を楽しみながら、俺は目を閉じた。
 二、三時間ほどそうしてまどろんでいると、部屋のドアがノックされる。最初は控えめに、次は乱暴に。
「おにいちゃーん! 朝だよ起きてー!」
 まだ声変わりもしていないかわいい声だ。少しでも長く楽しむために、耳を伏せて布団を被って聞こえないふり。そうしているとばんと勢いよくドアが開けられる。
「おにいちゃん!」
 困ったような声と共にふわふわの毛玉が飛び込んできた。容赦ない蹴りが俺の腹に突き刺さる。
「おきてよー!」
「ぐえっ」
 肉体は悲鳴を上げたが心は歓喜した。かわいい弟の愛情だ。この兄が全身に溢れ漲る愛情で受け止めてやらねば。現役小学生のかわいい弟が毎日毎朝こうして起こしに来てくれるなんて、いまどきフィクションでもそうない。がばりとベッドから跳ね起きると俺は弟をがばりと抱きしめた。
「つかまえたぞ。おはようケンタ」
「もーねぼすけなんだからお兄ちゃんは」
「ごめんごめん」
 あははと笑いながら鼻面をもふもふした毛皮に擦りつける。ああケンタケンタお前はなんていい匂いなんだケンタ。子犬の甘いミルクの匂いに混ざって運動場の乾いた土の匂いと、寝起きの汗のしょっぱい匂い。ああケンタケンタお前はどうしてこんなに素晴らしい匂いなんだケンタお前の匂いを胸一杯に吸い込む度にお兄ちゃんは生まれ変わってお前をもっと好きになるよケンタああケンタ。腕の中でもふもふし続けていると、ちっちゃな身体がばたばた暴れた。
「はなしてよー! ぼくこれから牛乳とりにいくんだから!」
「あーごめんごめん。行ってらっしゃい」
「おにいちゃんもおりてきてね!」
「わかってるわかってる」
「へんじはいっかいでいいです!」
 ぷりぷり怒りながらふりふり出ていく尻尾を、俺はじっくりと観賞する。今日もいい尻だ。きゅっとしていてぷりっとしていて、いい。早くも元気になった息子をいそいそとパジャマに収め、俺も下に向かう。いつものように父さんは目玉焼きを焼き、横で母さんが新聞を読み読み食パンを焼いている。俺の茶色い毛は母さん譲りで、ケンタの白い毛は父さん譲りだ。おはようと声をかけると二人ともおはようと返事してくれた。冷蔵庫から昨晩サラダ用に揃えておいた野菜を出し、さっと水洗いをした後にちぎってドレッシングをかける。俺が器に盛り付け終わった頃にばたんと玄関のドアが開く。
「ケンタ。ドアはもっと静かに開けなさいって言ってるでしょ」
「はーい」
 母さんの声に生返事をしながらケンタは牛乳瓶を二本机の上にどんと置いた。両手で持って走ってきたからか、牛乳瓶は二本とも泡立ってしまっている。
――だが。
 さりげなく泡立ち方が小さい方を手元に引き寄せ、俺はにこりと笑った。
「いつもありがとうな、ケンタ」
 最後に母が二人分のコーヒーを淹れ、全員が食卓に着く。朝食は分担して、家族揃って。我が家のルールだ。
「いただきます」
 四つの声が唱和する。
 ここからが最も大事な時間だ。
 なにげないふりを装って、俺は手元の牛乳瓶のビニールの封を解いた。
 蓋を開け、一口飲む。
 これでもう大丈夫だ。
 さっき牛乳を飲んだばかりなのに、口の中がからからに乾いている。
 ケンタは目玉焼きを乗せた食パンをさくさくと齧ると、牛乳に手を伸ばした。
 ぴーっとビニールをはがし、蓋をぽきゅんと開ける。
 そして。
 ケンタのぷにっとした唇に、冷たいガラス瓶の縁が触れ。
 白い液体がかわいいおくちに流れ込んだ。
 ああ。
 飲んでる。
 ケンタが、俺のミルクを、飲んでる。
 俺の遺伝子がケンタの中に溶け込んでいく。
 俺の精子がケンタの細胞を受精させちゃう。
 ケンタのおなかの中で俺とケンタが一つになっちゃってる。

――生きてて、よかった――

 歓喜に打ち震える内心と息子を隠しながら、俺も牛乳を飲んだ。漏らしそうだ。この家を出るのは俺が一番最後だから、欲望を処理するだけの時間は十分にある。ケンタが無事にミルクを飲み終えたのを確認して、俺は自分の牛乳をもう一口飲んだ。


 いつからこんなことを始めたかはもう忘れた。朝早く起きて耳を澄まし、牛乳が配達されるのと同時に窓から下りて瓶の中に射精し、元通りに戻し、部屋に戻る。食卓でその瓶を弟が飲むように仕掛ける。法律とか常識とか、そういうくだらない大人たちが定めた壁に阻まれ、愛してやまないケンタに直接触れることもできない俺にとって、これだけが数少ない生き甲斐だった。

 それが破られたのは、ある雨の日。俺がケンタが雨に濡れないよう学校までお迎えに行った日のことだった。
 その日に限ってケンタはやけに元気がなく下を向いているばかりで、俺がコンビニに寄ろうとかゲーセンでちょっと遊んで行くかとかいろいろ言ってみても反応が芳しくない。病院に連れていくべきだろうかと心配になってきたところで、ケンタは遂に顔を上げた。ちなみに相合傘してもケンタのちっちゃい身体が濡れて風邪を引かないよう大型の傘を用意してある。
「おにいちゃん、あのね」
「……あ、ああ」
「おうちに帰ったら……おはなしがあるんだけど、いい? おにいちゃんにしか話せないことなの」
 オニイチャンニシカハナセナイコト。確かに聞きましたよオニイチャンニシカハナセナイコト。これはあれですねオナニーの仕方を教えてあげるとかそういうルートでしょうか。そういうルートですよね。遂にそういうことができちゃったりするんですかね。毎日ケンタのパンツの匂いも味もチェックしているからまだ精通はしていないはずだ。よし。男としてこれは手取り足取り尻尾取りいろいろ教えてあげなければなりませんね兄として!

「ケンタ君のお兄さんて性犯罪者っぽい眼つきしてますね」
 しかし。相談の内容は、迎えに来た俺を同級生がそう評したと、そういうものだった。小学生とも思えぬ罵言だ。
「僕も実際その通りだと思う」
「……え」
 居間で温かいココアを飲みながら、ケンタは冷たい眼差しで俺を睨んだ。
「ていうか実際そうだしね」
 なんというか正にゴミを見るようなと形容されるような空気だった。かわいい弟の見たことのない一面に俺が耳を伏せていると、ケンタはココアをごんとテーブルに置いた。
「毎朝弟が飲む牛乳に精液を混入してるとかあれだからね? 警察に捕まっても頭がかわいそうだからって牢屋じゃなくて病院に入れてもらえちゃうレベルだからね?」
 し。
「知ってたのか?」
「味でわかるに決まってんでしょ。馬鹿なの? 毎朝玄関で入ってない方の瓶を必死に振ってるこっちの努力わかってんの?」
 つまり牛乳瓶の片方だけがやけに泡立っていたのは、俺の精液が混ざっているからではなく。ケンタが精液混入を見抜いて俺が自分で飲むよう仕組んでいたから……?
「どうしてそんなことを!」
「それこっちの台詞なんだけど? 一応聞いとくけど何考えてたの?」
「ほ、ほら、栄養たっぷりだろ?」
「お兄ちゃんには心の栄養が足りなかったのかなって思ってるよ」
 冷やかにそう言って、ケンタはココアを一口飲んだ。仕草だけはかわいくてかわいくてしょうがないケンタのままなのに、言葉や雰囲気は子犬とはとても思えない刺々しいものだ。ここに来てやっと俺が今まで見てきたケンタは装われていたものなのだと悟った。
「お兄ちゃんはっ……お兄ちゃんはお前に、ミルクを飲んでほしかったんだよ……!」
「アハハハハハ。ハァ? あれなの? 精液牛乳を飲み過ぎて脳味噌まで精液になっちゃったの?」
 頭をとんとんとつつきながらケンタは俺を罵倒する。それでも、その口の端についたココアの染みをぺろぺろしたくなるのにはなんの変わりもなかった。俺が飛びかかるべきか否か迷っていると、ケンタは大きく溜息をつく。
「身内から性犯罪者を出すとやっぱ人生めんどくさくなるかなーとは思うし。お兄ちゃんが逮捕されたら父さんや母さんも辛い思いをするだろうから、気付かない振りしてたけどさ。一般人にもそれとわかるようじゃ限界っぽいから、そろそろ釘を刺そうと思ったわけ。まずそれが今のお話の前提ね」
「愛があれば犯罪じゃない……」
「アイ? ハァ? 今なんつった? あいぃ?」
 鼻に皺を寄せてケンタが唸るので、俺はごめんなさいと謝った。お兄ちゃんにはありすぎて困るほどあるんだけどな、愛。そうか。ケンタにはないのか、愛。兄としてこの溢れて溢れて止まらない愛を分けてあげなければ。俺は手を握り締める。
「ちなみに言っとくけどさすがに直接手を出してきたら父さんと母さんに言うからね」
 俺は手をおろした。
「で、どうせあれでしょ? 見たくもないから探してないけど、部屋にすっげえもん隠してるんでしょ?」
 足を組み、ケンタはすっかり荒みきった態度で聞いてきた。対する俺と言えば床に転がり腹を出して服従のポーズである。
「ケンタの写真とかしかないよ」
「それがすっげえもんだっつってんだろ? あ゛あっ?」
 凄味が堂に入っている。俺はぺそぺそ尻尾を振って見せた。
 本当はケンタと同じ年頃の子犬が運動会でひたすら走ってるビデオとか給食の時間に嫌なものを食べて泣いてるビデオとかジャングルジムに登ってるビデオとか、玄人好みすぎて真の裏ルートにしか流れていないようなビデオがそこそこあって、たまに画面の中の子犬たちをケンタに置き換えてオカズにしているが、それを言ってはいけないことくらい俺にもわかっている。だって浮気だ。
 だから俺は真摯に紳士に訴えかけることにした。
「ケンタ! よく聞いてくれ。お前は俺がちっちゃいおとこのこならなんでもいいみたいに思っているかもしれないが、それは誤解だ。俺はケンタが好きだ。ケンタだけが好きなんだ。愛してるんだ。信じてくれ」
「お兄ちゃんは信じられないようなことやってる変態だけど信じてあげるよ」
「ありがとう!」
 俺は起き上がってケンタを抱きしめようとしたが、鼻面に鋭い蹴りをもらって倒れ込んだ。
「それとこれとは別問題だから」
「あっひゃい」
 愛は厳しかった。
「とにかくね」
 俺を隣のソファに座らせて、ケンタはいらいらとテーブルを叩く。拗ねているみたいでかわいいが、口から出てくる言葉は凶悪だ。
「僕としてはお兄ちゃんには捕まってほしくないんだ。病院に行っても治らない病気にかかっちゃっただけで、お兄ちゃんは僕のお兄ちゃんなんだから。まだそれくらいの情は残ってるから」
「俺もケンタのお兄ちゃんだよ」
「この身体にお兄ちゃんと同じ血が流れてるのかと思うと僕もいつか変態になっちゃいそうな気がして夜も眠れないよ」
「だったら添い寝してあげよう」
「そっちの方が眠れないからね普通に。ていうかさっきから下半身だけで返事してない? そんな精液臭い戯言喋ってるくらいならセックスしたいですとか延々呟いてた方がまだマシだからね? ああもう! 話が進まないな! お兄ちゃんはさ、僕を諦めることってできないの? それか女の人とつきあうとか、とにかく普通になれないの?」
 かわいい顔をしてケンタは残酷なことを言う。俺はぴこぴこ動く耳に向かって囁いた。
「……無理だ。俺もいろいろ試してはみたんだけど、できなかった」
「そっか。僕もお兄ちゃん無理だよ」
 同情してくれたようでいて恐ろしく容赦のない返答だ。俺が思わず目を潤ませると、さすがにケンタも罪悪感を覚えたのか右の耳を引っ張った。
「……妥協案としてはね、その……自分で解消すれば、少しは収まるんでしょ?」
「手伝ってくれるのか?」
「話聞けよカス」
 ケンタ、ここに来てマジギレである。俺はすぐさまソファから飛び降りて服従のポーズを取った。腹にぺちっと足を乗せて、ケンタは裁判官か何かのように判決を告げる。
「要するにお兄ちゃんが奇行に走るのは欲望が満たされないからでしょ?」
「うん」
「……聞くけどさ、それって、僕が見てる前でオナニーとかすると、収まる?」
「いいいいのかケンタ! いいのかそんなことしちゃって! お兄ちゃんしちゃうぞ! 何回でもしちゃうぞ!」
「質問に答えてくんないかな」
 俺のレバーにケンタの踵が突き刺さった。
「っえヴっ、収ま、収まりゅと思いまうっ」
「……そっか」
 腹を抱えて悶絶する俺を見下ろすケンタは、氷のような眼つきをしていながらも、やっぱり俺のかわいいケンタなのだった。


 二人で服を脱いでお風呂場に入る。雨で濡れていないはずだが、外は寒かったからかケンタの小さな身体はずいぶんと冷たくなっていた。
「お風呂沸かさなくていいか?」
「ううん、シャワーでいいよ」
 ケンタの表情は硬い。それはそうだ。恐ろしく世間擦れしていたが、やっぱりまだ小学生。これから兄のオナニーが眼前で行われるとなれば緊張も一塩なのだろう。ケンタを椅子に座らせ、俺は風呂の縁に腰かける。温度を手で確かめ、さっと頭の上からシャワーで流してやった。
「うひゃ! なにすんのさ!」
「身体あっためとかないと風邪引くだろ。できるだけ早く終わるからな……もったいないけど、かけっぱなしにするか」
 シャワーを壁に固定してケンタの背中にお湯がかかり続けるようにする。やはり風呂を沸かした方がよかったかもしれないが、もう遅い。
「じ、じゃあ、始めるからな」
「う、うん」
 俺が右手でペニスを握ると、ケンタもごくりと唾を呑んだ。風呂に一緒に入ることは今までにも何度かあったが、今は事情が違う。自分の欲望を隠さなくてもいいのだ。ペニスはそれだけで猛り狂い、普段見たこともないほど硬くなっている。まず皮を掴んで上下に動かすと、すぐに先端から先走りがとろりと流れ落ちた。
「ど、どうだケンタ。お兄ちゃんのチンチンは」
「叩き折りたい」
 考えるだけで萎えそうなことを言う割に、その視線は釘付けだ。これ見よがしに手を動かしてやると、びくりと肩が跳ねた。先端から流れ出た先走りを鬼頭全体へ丹念に塗り拡げ、潤滑をよくする。準備が整ったので手を激しく上下させた。ケンタはそのくりくりした目をまんまるにしてそれを見ている。ケンタの瞳に俺の勃起したペニスが映っている。
「っう、イ、イクッ……!」
「ひゃんっ」
 とっさに俺は先端をケンタの腹に向けた。朝より激しく吐き出された精液がケンタの白いお腹に飛び散っていく。震えるケンタの腹に吐き出し終えた俺は、手を伸ばして精液を塗り拡げた。掌の下でとくとくとちっちゃな心臓が激しく動いている。
「すっごくエロいぞ、ケンタ……」
 手でしごくと幹に残っていた残滓が零れ落ちてくる。熱に浮かされたような顔をして、ケンタはそれをじっと見ていた。


 次の日の朝。
 俺はいつも通り精液を流し込んだ瓶を元に戻すと、残されたもう一本を手に取った。片方だけに入れるから避けられてしまうのであって、両方に入れてしまえばもうケンタには避けようがない。連続発射は厳しいが、ケンタのためと思えばいくらでも頑張れる。俺がペニスに手を添えるのとほとんど同時に玄関のドアが開いた。
「お兄ちゃん」
「ケ、ケンタ……」
 眠たげに眼をこすり、くわあとかわいく欠伸をしてから、ケンタは舌打ちした。
「お兄ちゃんさ」
「はい」
「するとこ僕が見ててあげるから、もうそういう異常行動はしないって、そういう話だったんだけど。そこらへんわかってる?」
「我慢できなくて。ほら、毎日の習慣だったし」
「お兄ちゃんさ、去勢してもらいなよ。マジで。それか死ねよ。マジで」
 そう言い置いてケンタは家の中に戻っていく。取り残された俺は呆然としていたが、いつまでもこんなことをしてはいられないのですごすごとペニスをパンツの中に戻した。
「ふぅ」
 おそらくこれが最後のミルクで、それを飲むのは俺になるのだろう。なんとなくしみじみとしたものを感じながら俺は手に持った牛乳瓶を箱の中に戻し、部屋に戻った。ケンタは朝起こしに来てくれるだろうか。もし来てくれたら抱きしめよう。もふもふくらいさせてくれたっていいだろう。そう考えると、布団がもっこりと持ちあがるのだった。